司祭からのメッセージ   札幌教区 森田健児 神父 

 

         マリアはイエスを隠し、イエスはマリアを隠す

 

聖書に「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」(マコ3章)と書かれています。親戚や故郷の人々はヨセフの子イエスは知っていても、イエスが何者であるかはまったく知りませんでした。なぜでしょうか

 理由のひとつは、イエスの命が狙われたことがあったからでしょう。ヘロデ大王は生まれたイエスの命を狙い、3人の博士たちからも情報が得られず、おそらく徹底調査したけれども見つからず、とうとうベツレヘムと周囲の子供たちを皆殺しにしてしまいました(マタ2章)。そんな子供がまだ生きている、と知ったらどうなるでしょうか。

 ヨセフやマリアが、天使のお告げやイエスの受胎の秘密、三人の博士の来訪などについて少しでも周りに漏らせば、うわさは巡り巡っていずれ王の役人の耳に入るでしょう。

当時はイエスを知る人はもはや誰もいませんでした。3人の博士も羊飼いたちも。なぜならヨセフが夢で天使のお告げを受けて、母子とともに夜ひそかにエジプトに逃げ、その後ベツレヘム一帯で子供の虐殺が起こり、もはや博士や羊飼いでさえも幼子が生きているのか、どこにいるのかわからなくなっていたからです。イスラエルでただヨセフとマリアが知るだけでした。この二人が口を閉ざしていれば、イエスの命は守られます。目立たないナザレはイエスが世に現れるまでイエスを隠しておく役目も果たしていたように思います。

イエスも同様に、人々の目からマリアをそらせます。母のことが話題にあがるたびにイエスは「神のみ心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」(マコ3章)というふうに話されました。神のみ心を守る人こそマリアなのですが、イエスはそれに触れず、幸いを皆の方にふり向け、マリアをお隠しになります。

ナザレにお帰りになったときには「預言者が敬われないのは自分の故郷、親戚や家族の間だけである」(マコ6章)とおっしゃり、マリアもイエスのことを知らなかったかのような発言をなさいます。マリアが知らなかったことにしておいたほうが良かったのかもしれません。そうでなければ、親戚や故郷の人たちはイエスのことをマリアから聞きだそうとし、イエスが三人の博士から「ユダヤ人の王」と呼ばれたあの幼子であることを知るに到るでしょう。それはほどなく王の耳に入るに違いありません。イエス在世中はヘロデ・アンティパス王が治めていましたが、この王は洗礼者ヨハネを殺した王でもあるのです。

ナザレ訪問の最後には、イエスが憤慨したナザレの群集に、崖から突き落とされそうになりました。そんなこともあり、イエスはマリアを守るためにも「マリアは無関係」ということにしようとなさったのではないでしょうか。

このように、絶えず命の危険と隣り合わせに生きてきたイエスをマリアは隠し、守っているように見えます。同様に、イエスがマリアを隠すのも、マリアを守るという理由がひとつにはあったのではないでしょうか。